こんにちはエビーです!当ブログご覧いただきありがとうございます。
ダンスミュージックはダンスのBGMとして機能する音楽、または踊るための音楽を指します。
単独の音楽ジャンルを指す概念ではなく、複数の音楽ジャンルを総合する概念と見なされています。
ダンスミュージック詳細(wikiペディア)
テレビCMや番組で曲が使用されていたりして、一般的にも認知度の高いと思われる、60年〜80年代の期間に活躍した代表的なアーティストの楽曲をセレクトしご紹介します。
主にyoutube公式で配信されているもので、時代感が伝わる様にリリース順、12inch or Discoバージョン・オリジナルに近い演奏でLive映像が有れば優先し、代表的なバラードのリリースが有るアーティストはこちらも含めます。
ご意見・ご感想・ご要望などはページの最下部の「コメント書き込み」よりお願いいたします。
※リリース年、アーティスト情報は主にWikipediaを参考・引用しております。
関連サイト
legend1️⃣60s70s80s Pt.1
Legend2️⃣60s70s80s Pt.2
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Legend4️⃣70s80s Rock Pops Pt.2
Legend5️⃣70s80s Hip Hop Pt.1
レジェンド1️⃣60年~80年代前編
Abba🇸🇪
ストックホルムで結成されたスウェーデンのポップ・グループ。
1974年から1982年まで世界中の音楽チャートを席巻し、ポピュラー音楽界で商業的に成功したグループで、ダンスミュージックを代表するヒット曲を数多くリリースしています。
2021年11月5日に40年年ぶりのオリジナルアルバム「ヴォヤージ」をリリースし、
2022年5月にはメンバーがアバターで登場するコンサートを計画していると話題になりました。
一流ミュージシャンのファーンも多く影響力の有るグループです。
エルヴィス・コステロ
ノエル・ギャラガー (オアシス)
レッド・ツェッペリン等
Mamma Mia(1975)
ABBAのヒット曲22曲にて構成される、いわゆるジュークボックス・ミュージカルの代表作の一つとして、曲名『マンマ・ミーア!』をタイトルとしたミュージカルが1999年にウェスト・エンド(ロンドン)で、2001年にブロードウェイ(ニューヨーク)で公演され、2008年にイギリス、ドイツ、アメリカが共同製作し、ロマンティック・コメディ・ミュージカル映画として公開されました。
Dancing Queen(1976)
2022年8月に新たに公開されLyric Video ver.でご紹介します。
70年代そしてダンスミュージックを代表する曲の一つ。
Gimme×3(1979)
DISCOだけでは無く竹の子族にも人気の有った曲で、Madonna – Hung Up(2005)でサンプリングされたことでもお馴染みのサウンド。
Chiquitita(1979)
Lay All Your Love On Me(1980)
2022年8月に新たに公開されLyric Video ver.でご紹介します。
DISCOだけでは無く竹の子族にも人気の有った曲。
Bee Gees🇬🇧
英国王室属領マン島生まれのイギリス人のギブ三兄弟を中心に構成された男性ボーカルグループ。
1963年にオーストラリアでレコードデビューし、1973年からは米国を中心に活動。
1960年代前半から息の長い活動を続け、「ラヴ・サムバディ」(1967)、「マサチューセッツ」(1967)、「ホリディ」(1967)、「ジョーク」(1968)、「若葉のころ」(1969)、「メロディ・フェア」(1971)、「イン・ザ・モーニング」(1971)、「傷心の日々」(1971)、「ラン・トゥ・ミー」(1972)、「ブロードウェイの夜」(1975)、「獄中の手紙」(1968)、「ステイン・アライヴ」(1977)など、数多くの名曲を発リリースしています。
ディスコソングのイメージが強い彼らですが、「ステイン・アライヴ」(1977)の以前にも沢山のヒット曲をリリースしとても人気の有るグループです。
ポップなメロディメイカーとしては、レノン&マッカートニー(ビートルズ)やビヨルン&ベニー(ABBA)らと並ぶ名ソングライターチームとして知られています。
こちらでご紹介する曲は全てディスコと言う存在を世に知らしめた、1977年公開映画「サタデーナイトフィーバー」のサントラに収録されている曲です。
映画が商業的成功を収め、主にビージーズによる楽曲がヒット。ビルボード200では24週連続1位という驚異的なチャート・アクションを見せ、アメリカでは「サタデー・ナイト・フィーバー」の文化的影響は非常に大きいものでした。
カナダでは22週連続1位、イギリスでは18週連続1位、オーストラリアでは14週連続1位を獲得するというメガヒットを遂げ、全世界でサウンドトラックとしては過去最高の4000万枚を叩き出しました。
グラミー賞最優秀アルバム賞を獲得。ビルボードミュージック・チャートのポップ・アルバムとソウル・アルバムそれぞれで1位を獲得し、1984年にマイケル・ジャクソンの『スリラー』がその記録を更新するまで、世界で最も売れたアルバムでした。
You Should Be Dancing(1976)
Stayin’ Alive(1977)
Night Fever(1977)
More Than A Woman(1977)
How Deep Is Your Love(1978)
最強コーラスワークのメローソングで、これからの時期にっピッタリのナンバー。
Chic🇺🇸
1977年にデビューしたアメリカ合衆国のR&B、ファンク、ディスコ・バンド。
中心メンバーはギターのナイル・ロジャースとベースのバーナード・エドワーズで、この二人はシスター・スレッジ、ダイアナ・ロス、マドンナやデヴィッド・ボウイなどのアーティストをプロデュースし、多くの曲をヒットさせ、ダンスミュージック界に多大な貢献をしておます。
メイン・プロデューサーを務めたデヴィッド・ボウイのアルバム『レッツ・ダンス』(1983)、マドンナのアルバム『ライク・ア・ヴァージン』(1984)、はそれぞれ世界中で大ヒットを記録しました。
ナイル・ロジャースは現在でも活動しており、少し前の話になりますが2013年に世界的に大ヒットしたダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』内の3曲に参加し、「ゲット・ラッキー」や「ルーズ・ユアセルフ・トゥ・ダンス」のミュージック・ビデオにも出演しました。
バーナード・エドワーズは1996年4月18日の43歳で肺炎で死亡しております。
2017年、エドワーズは『Bass Player』誌で史上53番目に偉大なベーシストに選ばれております。
シックのヒット曲「グッド・タイムス」における彼のベースラインは、歴史上最もコピーされた曲の1つとなり、リリースされたときには多くのジャンルのミュージシャンに大きな影響を与え、クイーンの「地獄へ道づれ」(1980)にインスピレーションを与えました。
更に1979年にシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」にクレジットされた(「曲「グッド・タイムス」ナイル・ロジャース / バーナード・エドワーズの音楽に基づいて」とヴァイナル盤のラベルにある)。
これはメインストリーム・ヒットとなる最初のラップ・ソングであ有り、その後の数十年、ラップからパンク、テクノからポップまで、さまざまなジャンルのアーティストによってサンプリングされています。
デュラン・デュランのベーシスト、ジョン・テイラーは、ソロ演奏中にしばしば敬意を表してこの曲を演奏し、エドワーズを彼の主な影響力として引用しています。
CHIC – Dance×3(1977)
1stシングル
Everybody Dance(1977)
Le Freak(おしゃれフリーク)(1978)
アメリカ国内で400万枚以上を売り上げ、当時としてはアトランティック・レコード史上最大のヒット・シングル。
Good Time(1979)
dj honda dj battle 1992 new york(Good Times)
1992年に渡米し、同年ニューヨークで開かれた DJ Battle World Supremacy で準優勝した時のワンシーンです。
(このときの優勝者はビースティー・ボーイズのミックス・マスター・マイク)
「Good Times」のレコードを使用してのバトルプレイは最高にイカしています!!
1980年代中盤からディスコDJとして活動し、DJ KOOさんらとリミキサーグループ『The JG’s』を結成、リミックス作品に関わる他、グループ自身のアルバムも発表していました。
1995年アメリカでレコードデビューし、当時第一線で活躍していたHip Hopレジェンドが多数参加たアルバムをリリースしたり、「h」マークの入ったキャップなどのグッズは一斉を風靡しました。
当時野球選手の一郎さんがこのキャップを被ていた事も話題になりました。
(Premiere, Guru), Redman, Grand Puba, Sadat X, Fat Joe, The Beatnuts, Common等。
The Supremes🇺🇸
1959年〜結成されたアメリカ合衆国の4人組ガールズ・グループで1977年解散まで活動していました。
長い活動期間の中で所属レコード会社や音楽性は何度か変わっているが、その全盛期はダイアナロスが所属していた1964年ごろから1969年まです。
彼女達をモデルとしたミュージカル『ドリームガールズ』が、1981年に初演。2006年には、映画版『ドリームガールズ』が公開されました。
ダイアナをモデルとしたディーナ・ジョーンズ役にビヨンセ・ノウルズ、フローレンス・バラードをモデルとしたエフィ・ホワイト役にジェニファー・ハドソン、メアリー・ウィルソンをモデルとしたローレル・ロビンソン役にアニカ・ノニ・ローズ、シンディ・バードソングをモデルとしたミシェル・モリス役にシャロン・リールが配役。
スプリームスを売り出した、モータウンの創設者ベリー・ゴーディ・ジュニアをモデルとしたカーティス・テイラー・ジュニア役にジェイミー・フォックスが配役されています。
Baby Love(1964)
Stop! In The Name Of Love(1965)
You Can’t Hurry Love(1966)
Diana Ross🇺🇸
ザ・スプリームスの人気が一段落した1970年に、ダイアナはグループを脱退。ソロ歌手として活動を始める。ソロ転向後も、同年リリースの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(1970)「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973)、「マホガニーのテーマ(Theme from Mahogany (Do You Know Where You’re Going To))」(1976)、「ラブ・ハング・オーバー」、「アップサイド・ダウン」、「アイム・カミング・アウト」などの大ヒットを放ち、ソロ歌手としての地位を確立した。また70年代後半のディスコ全盛時代には、ゲイのDJやゲイのディスコ客らによって、ドナ・サマー、グロリア・ゲイナーらと並んで「ディスコ・クイーン」の地位を築いています。
現在も勢力的に活動していて、18曲もの全米1位ヒットを放ち、ギネスワールドレコーズより「世界で最も成功した女性アーティスト」と認定されています。
2021年11月に22年ぶりとなる25枚目のスタジオアルバム『Thank You』をリリースしています。
ダイアナはスプリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のBillboard Hot 100 1位のヒットを放っている。これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。
Ain’t No Mountain High Enough(1970)
1stシングル
Marvin Gaye & Tammi Terrellが1967年にリリースしたカバー。
The Boss(1979)
こちらの曲はDJがPlayしやすい様にRemixされているアメリカのUltimixシリーズのバージョンが人気があります。
Upside Down(1980)
Proナイルロジャースのバリバリのディスコなアンバー。
Upside Down(Glastonbury Live 2022)
I’m Coming Out(1980)
You Are Everything(1973)
Marvin Gayeとのデュエットした70年代を代表する永遠の名バラード。
Endless Love
Lionel Richieとの70年代を代表する永遠の名バラード。
聖少女といわれたブルック・シールズ(撮影当時15歳)の美しさが目を引く、81年公開の同タイトル映画主題歌で、アカデミー主題歌賞にノミネートされ、この年最大のヒット曲となりました。
トム・クルーズが恋人デヴィッドの友人役で数秒出演し、映画デビューしています。
Donna Summer🇺🇸
1970年代後半、ドナ・サマーはアメリカのポップとR&Bシーンの女王。
1978年の終わりにアルバム『Live And More』が全米アルバム・チャート、そしてジミー・ウェッブの「MacArthur Park」のカヴァーがシングル・チャートでアルバムと同時にトップの座についた。ロックの時代に女性アーティストが同時1位を達成するのは初めてのことだった。
1979年の春までにはさらにアルバム『Bad Girls』をリリースし、マルチ・プラチナという新たな記録を樹立し、グラミーの栄光も手に入れたのだ。
1978年のドナ・サマーはディスコ・ミュージックを世界的な現象にした要の人物であり、映画『イッツ・フライデー』にも俳優として出演していた。この映画はダンス・ミュージックのブームが持っていた可能性を最大限に伸ばした作品だった。そのサウンドトラックの楽曲「Last Dance」がゴールド・ディスクを認定され、全米トップ3のヒット曲となり、翌年のグラミー賞などのアワード・シーズンに賞賛されることとなった。 スローな始まりから、当時最強だったディスコ・ビートへと変貌を遂げるこの曲は、ニューヨーク出身のソングライター兼俳優のポール・ジャバラが書いた。彼も『イッツ・フライデー』に出演し、サウンドトラックには彼の他の楽曲も収録されていたが、栄冠に輝いたのは「Last Dance」だった。 「Last Dance」はアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞を受賞し、ロサンゼルスのシュライン・オディトリアムで開催された第21回グラミー賞で、ポール・ジャバラとドナ・サマーはともにその功績が讃えられることとなった。ポール・ジャバラは作曲家として最優秀リズム&ブルース楽曲賞を受賞し、ドナ・サマーは最優秀R&Bパフォーマンス賞の女性部門を受賞した。 2012年に63歳で惜しくも亡くなり、彼女の卓越したキャリアは早すぎる終止符を迎えたが、「Last Dance」をはじめとして、ドナ・サマーはグラミーで通算17のノミネーション、そして5つのグラミーを受賞した。 Written by Paul Sext
Love To Love You Baby(1975)
I feel Love(1976)
MacArthur Park(1978)
Last Dance(1978)
Hot Staff(1979)
On The Radio(1979)
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