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ダンスミュージックはダンスのBGMとして機能する音楽、または踊るための音楽を指します。
単独の音楽ジャンルを指す概念ではなく、複数の音楽ジャンルを総合する概念と見なされています。
ダンスミュージック詳細(wikiペディア)
テレビCMや番組で曲が使用されていたりして、一般的にも認知度の高いと思われる、70年〜80年代の期間に活躍した代表的なRock,Popsのアーティストの代表曲をセレクトしご紹介します。
動画は主にyoutube公式で配信されているもので、12inch or Discoバージョン・オリジナルに近い演奏でLive映像が有れば優先し、代表的なバラードのリリースが有るアーティストはこちらも含めます。
ご意見・ご感想・ご要望などはページの最下部の「コメント書き込み」よりお願いいたします。
※リリース年、アーティスト情報は主にWikipediaを参考・引用しております。
関連サイト
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Olivia Newton-John 🇦🇺
オーストラリア出身のイギリス人ポピュラー歌手・女優。
1970年代から1980年代半ばにかけて多くのヒット曲を放ち、高い人気を博した。
以後はレコーディングやコンサートの会社運営、自社ブランドのオーナーなど実業家としても活躍。
杏里さんのデビューシングル「オリビアを聴きながら」(1978年)作詞・作曲された尾崎亜美さんがオリビアさんを題材に作成した曲で、歌詞に「Making Good Things Better」と出てくるのは「きらめく光のように (Making A Good Thing Better)」を複数形にしたものです。
1992年には乳がんと闘病中と公表、以後はがん治療の啓発活動にも力を入れるようになった。
そうした活動が認められ、オーストラリア勲章、大英帝国勲章を受章し、日本でも旭日小綬章が授与されている。
2022年8月8日、長い闘病ののち南カリフォルニアの自宅にて死去(享年73)。
愛のデュエット With John Travolta (1978)
1978年公開のジョン・トラボルタと共演したミュージカル映画『グリース』の主題歌。
興行成績は大成功を収め、アカデミー賞歌曲賞候補となった「愛すれど悲し」、「想い出のサマー・ナイツ」が連続ヒットし、押しも押されもせぬ世界的なスターとなりました。
全英シングルチャートでは9週連続1位になったほか、全米ビルボードHot100を含む世界中のチャートで1位を達成した。
Xanadu with ELO(1980)
1980年公開、地上に最高の音楽の殿堂を作るために、と集まる人々を描くミュージカル・ファンタジー映画の主題歌。
イングランド出身のロックバンドElectric Light Orchestraとの楽曲。
全米8位、オーストラリア2位、全英1位のビッグヒットナンバー。
2007年、キャメロン・ディアス出演のソフトバンクのCMソングに使用されました。
Xanadu with ELO (1980)
& Gene Kelly’s ’80s/’40s Hybrid E.L.O. Roller Disco(1980年)
Physical(1981)
本曲は1981年11月から1982年1月半ばにかけて、全米Billboard Hot 100で10週連続1位を記録、1982年度の年間1位にも躍り出た。
日本のオリコン洋楽チャートで1982年1月25日付から9週連続1位を獲得。 間奏での印象的なギター・ソロはスティーブ・ルカサー(Toto)によるもの。
ミュージック・ビデオはエアロビクスをモチーフに取り入れており、曲のヒットに一役買いました。
2010年、『glee/グリー』に取り上げられ、本人とスー・シルベスター役のジェーン・リンチによる新たなヴァージョンが制作され、このヴァージョンもBillboard Hot 100で89位にチャートインしました。
※全米1位、全英7位。
(Twist of Fate)(1983)
1983年に公開されたロマンティック・コメディ映画の主題歌。
デイヴィッド・フォスターが本曲およびサウンドトラックのプロデュースを手がけた。 ミュージック・ビデオには映画のシーンが使用されているほか、共演のジョン・トラボルタも出演している。
2021年現在、Billboard Hot 100のTOP10にチャートインした最後のシングルです。
Prince 🇺🇸
1976年より活動しているアメリカのミュージシャン、マルチ・インストゥルメンタリスト、シンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、俳優、映画監督。
[プリンス・ロジャーズ・ネルソン(Prince Rogers Nelson、1958年6月7日 – 2016年4月21日)]
ファンク、ブルース、ゴスペル、ハード・ロック、サイケデリック・ロック、ダンス・ミュージック、ソウル、ポップ、ロックなどの音楽性を持ち、ミネアポリス・サウンドの中心的存在だった。
2016年6月2日に鎮痛剤のフェンタニルの過剰投与による中毒死で死亡。
ミネソタ州の検視当局により死因の報告書が公表されました。
これまでに12作品のプラチナアルバムと30曲のトップ40シングルを生み出し、アルバム・シングルの総売り上げは1億5000万枚以上。
後進のミュージシャンに影響を与えた存在として知られています。
アメリカのポップカルチャー情報誌「ローリング・ストーンの選んだ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第27位。「ローリング・ストーンの選んだ史上最も過小評価されているギタリスト」において第1位。
I wanna Be your Lover (1978)
セカンド アルバム「プリンス」のリード シングルとしてリリースされ、自身の米国での最初のメジャー ヒット シングルであり、1980年 1月 26日にビルボードホット 100で 11 位になり、2 週間にわたって 11 位を維持し、ビルボードホット ソウル シングルチャートで 2年間 1 位を記録しました。
ビートに抱かれて(1984)
1984年制作のアルバム、及びプリンスが主演映画「Purple Rain」からのリードシングル。
ミュージシャン・プリンスの下積み時代のサクセス・ストーリーを描いた自伝的映画にして、彼の初主演映画。
プリンスの最初のBillboard Hot 100 No. 1 シングルであり、5 週間滞在し、世界的なヒット曲でもありました。Billboardによると、1984 年の最も売れたシングルで、アメリカレコード協会(RIAA) によってプラチナ認定を受けています。
1989年に認定要件が引き下げられる前に、プラチナ認定を取得したソロアーティストによってリリースされた最後のシングルでした。
プリンスの死後、この曲はビルボードで再チャート化されたホット 100 チャートで 8 位になり、1984 年 9 月 1 日に終了した週以来、初めてトップ 10 にランクインしました。
アルバムは発表初週に100万枚を売り上げ、ビルボードチャートのトップに実に24週間も居座りつづけた。シングルカットされた「ビートに抱かれて」(When Doves Cry)、「レッツ・ゴー・クレイジー」(Let’s Go Crazy)の2曲がシングルチャートで1位となり、プリンスは全米でのボックスオフィス、アルバムチャート、シングルチャートですべて1位を獲得するという偉業を達成する。
本作からは他に 「パープル・レイン」(Purple Rain)(2位)、「ダイ・フォー・ユー」(I Would Die 4 U)(8位)、「テイク・ミー・ウィズ・U」(Take Me with U)(25位)がシングルカットされている。
Let’s Go Crazy(1984)
Kiss(1986)
全米1位
Batdance(1989)
1989年公開の映画「バットマン」のサウンドトラックからのシングル。
映画の人気に助けられて、この曲は米国でナンバーワンになり、プリンスにとって4番目のアメリカのナンバーワンシングルとなり、1986年の「キッス」以来のナンバーワンヒット。
Queen 🇬🇧
1971年より活動しているイギリス・ロンドン出身のロックバンドで、イギリスの英雄と言っても過言ではないグループ。
1970年代前半のハードロック・ブーム中にデビューし、その後も時代によってスタイルを変化させ世界中で1億7000万枚〜2億枚の音楽作品を売り上げたとされています。
2018年に公開された、ボーカルだったフレディ・マーキュリーに焦点を当て、1970年のクイーン結成から1985年のライヴエイド出演までを描いた伝記映画「ボエミアン・ラプソディー」で更に知名度を上げました。
1991年にボーカルのフレディ・マーキュリーが死去したものの、現在も活動は断続的に続いて、2021年現在、ギターのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーの2人は、ボーカルにアダム・ランバートを迎えて「クイーン+アダム・ランバート」名義で活動しています。
We Will Rock You(1977)
作詞・作曲:ブライアン・メイ。
楽曲の「ドンドンチャ」というリズムは、教会を改造したスタジオで録音された。メンバーが「1拍目・2拍目は床を踏み鳴らし、3拍目は手拍子を打ち、4拍目は休符」というリズムパターンを何度もオーバーダビングすることにより、ドラム・ベースを使わずにリズムを表現している。曲の終盤ではブライアン・メイがギターソロを、1つのフレーズを3回繰り返すように演奏している
映画『ボヘミアン・ラプソディ』本編映像「ウィ・ウィル・ロック・ユー」はこうして誕生した
地獄へ道づれ(1980)
作詞・作曲:ジョン・ディーコン(ベース担当の元メンバー)
シングルは、アメリカ、スペインなどでチャート1位となるなど、世界的に大ヒットした。
特にアメリカにおいては、ビルボード誌が発表したBillboard Hot 100(1980年10月4日付)では1位を獲得し、シングルセールスが200万枚を超え、ブラックミュージックのチャートでも3週連続で2位を記録するなど、グループにおける最大のヒット曲となった。
印象的なベースラインはシックの「グッド・タイムス」に影響を受けて作曲されたと言われていて、事実、ギターとベースラインはシックの演奏を彷彿させるものがある。
シックのバーナード・エドワーズ(ベース担当)は、当時ディーコンがシックのレコーディング・スタジオを訪れた際に、レコーディングを眺めながら、いかにもセッションに参加したそうにリズムをとっていたと語っています。
Radio Ga Ga(1984)
作詞・作曲:ロジャー・テイラー(ドラム担当)
イギリスで2位、アメリカで16位、その他19カ国で第1位を獲得する世界的大ヒットとなり、テイラー初のヒット作となった。
レディー・ガガの名前の由来になった曲としても有名です。
A Kind Of Magic(1986年)
作曲はロジャー・テイラー(ギター担当)
ロジャー初のシングルヒット「RADIO GA GA」の路線を継承したといえる作品。
本国イギリスで3位にランクイン、その他欧米諸国でも軒並み10位以内の好成績を収めた。
1986年のアメリカ・イギリス合作のファンタジー・アクション映画「ハイランダー 悪魔の戦士」主題歌。
映画がヒットしたため続編やテレビ用スピンオフが制作された。
2022年6月より公開されているコカコーラのCMでも使用された楽曲。
こちらではオリジナルアレンジで、国際的に活躍する7組のアーティストを集め作成され、魅力満点の楽曲になっています。
Freddie Mercury 🇬🇧
ボーカルのフレディ・マーキュリーはポピュラー・ミュージックの歴史の中でもっとも偉大なシンガーの一人と見なされており、観客を惹き付ける優れたステージ・パフォーマンスと広いボーカル・レンジ(F2からE6)で知られている。また「ボヘミアン・ラプソディ」や「キラー・クイーン」、「愛にすべてを」、「伝説のチャンピオン」などのヒット曲を作詞作曲。
1991年11月24日、HIV感染合併症によるニューモシスチス肺炎のため死去。45歳没
I Was Born To Love You (1985)
フレディーの楽曲の中でディスコで一番人気の曲。
日本では1980年代後半にノエビアのテレビコマーシャルでフレディのソロバージョンの音源が使用された。
1996年のキリン一番搾り生ビール、アサヒスーパードライ、2011年のカップヌードルのテレビコマーシャル、さらには2004年のTVドラマ『プライド』の主題歌としてRock調になったクイーンバージョンが使用された。
「プライド」の主題歌として起用されたことがきっかけとなりクイーンが再評価、『ジュエルズ』という日本限定のベスト・アルバムが150万枚以上を売り上げるほどの大ブームとなった。
「プライド」は主演:木村拓哉さんで2004年1月12日より3月22日までに、フジテレビ系列の「月9」枠で放送されていた人気ドラマ。
Living On My Own(1985)
発売当初はさほど話題になることも無く、全英チャートでも50位を記録したのみだったが、フレディの没後2年後の1993年に発表された「ノー・モア・ブラザーズ・ミックス」というリミックスバージョン全英チャート1位を獲得した。
Living On My Own (1993 Remix)
Rod Stewart 🏴
1960年代前半から活動している、スコットランド家系のイギリスのミュージシャン。
1960年代後半からジェフ・ベック・グループ、フェイセズでの在籍を経てソロで活躍。
個性的なハスキーボイスの持ち主で、そのボーカル・スタイルは一部のロック・ミュージシャンに影響を与えています。
10代の頃にはプロ・サッカーの3部リーグのチームのトライアルも受けたことで知られている。ライブでは客席にサッカーボールを蹴り込むパフォーマンスが定番となっています。
Da Ya Think I’m Sexy?(1978)
Baby Jane(1983)
Some Guys Have All the Luck(1984)
People Get Ready with Jeff Beck (1985)
The Rolling Stones 🇬🇧
1962年4月ロンドンで結成され、1960年代前半から現在まで半世紀以上、1度も解散することなく第一線で活躍を続ける、ロック界の最高峰に君臨するバンド。
エアロスミス、プライマル・スクリームやジェット、日本では沢田研二とザ・タイガース、萩原健一とザ・テンプターズなど多くのグループ・サウンズのバンド、忌野清志郎とRCサクセション、鮎川誠とシーナ&ロケットなど、ローリング・ストーンズに影響を受けたアーティストは数多く存在する。
ストーンズは労働者バンドというイメージが強いが、ミック・ジャガーとブライアン・ジョーンズは中流階級の出身です。
ロックンロール創始者の1人で「ロック界の伝説」と敬われ、最初期のギター・ヒーローとして認知されている、チャックベリーの「Come On」(1961)のカバーで1963年6月7日にデビュー。
ミック・ジャガーはストーンズとしてデビュー以来、数十年間ロックの第一線で活動を続けた。
元来、ブルースなどの黒人音楽から強い影響を受け、60年代から現在まで一貫して最新の機材や技術に加えて流行の音楽などにも敏感に反応し、ストーンズとソロ・ワークの両方で活用した。ブルース、ソウル、R&B、ファンク、レゲエ、ディスコなど、黒人音楽の流行に目配りしてストーンズのサウンドに取り入れた。
ストーンズのギタリストであるキース・リチャーズと「ジャガー/リチャーズ」の名義で数々のヒット曲を生み出した。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」で第16位。
現在のメンバー
ミック・ジャガー(ボーカル、結成メンバー:初期〜)
キース・リチャーズ(ギター、結成メンバー:初期〜)
ロン・ウッド(ギター、元ジェフ・ベック・グループ→フェイセズ、1976年2月〜)
黒人音楽から強い影響を受けている彼らの音楽はダンサンブルな曲が多いですが、その中でも12inchシングル盤でLong Versionなども存在するナンバーを3曲ご紹介します。
Miss You(1978)
ストーンズの曲の中でDisco Version(8:36)も存在するディスコ色の強いナンバー。
Single Versionは3:31。
Hot Stuff(1979)
If I Was A Dancer (Dance Pt. 2)(1981)
Emotional Rescue(1980)収録の「Dance」のLong Version。
Hot Stuff 12inchシングル
Dance (Pt. 1)(1980)
Mick Jagger 🇬🇧
Dancing In The Street with David Bowie (1985)
1963年にモータウンのマーサ&ザ・ヴァンデラスがリリースした、名曲カバー。
Let’s Work(1987)
TOTO 🇺🇸
1976年にロサンゼルスでスタジオミュージシャンをしていたデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロを中心に結成されたアメリカのロックバンド。
デビュー作から全米チャート上位にランクインするなど成功を収め、特に4枚目のアルバム『TOTO IV~聖なる剣~』が1200万枚以上のセールスを記録し、「グラミー賞」で6冠に輝いています。
2008年3月のボズ・スキャッグスとの来日公演を最後に活動を無期限に休止すると宣言し、公式ウェブサイトで7月23日に正式な発表。
その後ALSを患ったマイク・ポーカロの救済目的で、2010年7月にヨーロッパ各地で期間限定としてツアーを行った。翌2011年9月には日本でもツアーが実現し、以降は多くの来日公演を重ねた。
2015年には9年ぶりのオリジナル・アルバムを発売するなど、事実上恒久的な活動を再開しています。
Georgy Porgy ft, Cheryl Lynn (1978)
Rosanaa(1982)
Africa(1982)
ビルボードのホット100で1位を記録し、カバー曲の多い楽曲。
1999年Kiss Destination(小室哲哉.吉田麻美) 🇯🇵
2008年Karl Wolf 🇱🇧
2018年Weezer 🇺🇸
等
TOTOをご紹介する上で欠かせない、ダンスミュージックの名曲が有ります。
デヴィッド・ペイチとデヴィッド・フォスターがプロデュースし、1979年のホット ソウル シングル チャートナンバー 1 (米国)の記録が有り、現在もディスコ・クラシックとして親しまれている定番曲。
Cheryl Lynn 🇺🇸
ロサンゼルス出身。幼い頃から教会でゴスペルを歌っていた。当初、歌手になるつもりはなかったが、黒人ミュージカルの『ザ・ウィズ』の巡業チームに参加。
1976年、『ザ・ゴングショー』というオーディション番組に出演して優勝。
この番組は審査が厳しく審査員もうるさいことで知られていたが、彼女は300点という最高得点を獲得し、司会者のチャック・バリスや審査員を唸らせ絶賛された。
後にチャック・バリスは「L・A・ヘラルド・イグザミナー」紙で、4000人近く見聴きした中でシェリル・リンは最高の存在であると評した。
これによりメジャー・デビューの話が次から次へと舞い込んできたが、彼女自身はこの事態を静観しデビューすることをかなり躊躇していたが、周囲の説得からようやくCBSソニーと契約し、1978年にデビューした。
デビュー曲の「トゥー・ビー・リアル」(Got To Be Real)は当時のディスコ・ブームに乗ってヒットを記録した。沢山のアーティストにカバーされ、サンプリングされています。
1995年にavex traxから日本独自企画のオリジナル・アルバム『グッド・タイム』をリリースしています。
カバー
1993年Eric 🇬🇧
2004年Mary J. Blige🇺🇸 and Will Smith🇺🇸
サンプリング
1979年Funky 4 + 1「Rappin’ & Rockin’ the House」🇺🇸
1990年Father MC「I’ll Do 4 U」🇺🇸
1994年C&C Music Factory – Do You Wanna Get Funky 🇺🇸
等
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