山下達郎入門Pt.1 キングオブシティポップ,昭和歌謡

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山下達郎入門Pt.1
2010年代~のシティーポップのワールドワイドな人気や、昨年のアルバムのリリースなどで話題の尽きない、山下達郎さんが初期にリリースされたアルバム8タイトルが、2023年最新リマスター&ヴァイナル・カッティングで再発されるので、Pr1としてプロフィール・シュガーベイブ時代・再発盤含む’76~’82年にリリースされたアルバムからの代表曲及びカバー曲ご紹介をします。

タツローさんの事を未だ余り知らない方が、このブログを通して少しでも魅力を知って頂ければ幸いです。

中古市場ではアナログ盤の価格が下は5千円位からで、高額な物ですとオークションで3万円を超える物も有ったりして手が出せなかったのですが、この度最新の技術で再発されるので以前から欲しかった『FOR YOU』をタワーレコードさんで予約しました。

カセットテープもプレミア価格が付いており、商品の特性上コンディションの良い物を入手するのも難しいと思われるので、購入を考えられている方は再発版のご購入をお勧め致します。

このブログをご覧頂きご購入を考えられたなら、まず「For You」をお勧めいたします。

※5月2日予約していた「For You」が届き針を落としました。
   想像以上の音質で、再発仕様のライナーが追加で付属していて満足度120%です。

*動画は公式で公開されている楽曲のみ掲載しております。

※リリース年、アーティスト情報はWikipedia・アーティストHPを参考・引用し作成しております。
アーティスト名後の()は活動期間、曲名後の()はリリース年。

T:大正/M:明治/S:昭和/H:平成/R:令和

1976年~1982年までRCA/AIR YEARS
※すべて180g重量盤 1枚組:¥4,400(税込) 2枚組:¥5,500(税込)
※『IT’S A POPPIN’ TIME』他〈カセットテープ〉 ¥3,300(税込) ※『IT’S A POPPIN’ TIME』のみ ¥4,400(税込)
5月3日(水)発売 『FOR YOU』(1982年作品) BVJL90 / BVTL2
6月7日(水)発売 『RIDE ON TIME』(1980年作品) BVJL91 / BVTL3
7月5日(水)発売 『MOONGLOW』(1979年作品) BVJL92 / BVTL4
7月5日(水)発売 『GO AHEAD!』(1978年作品) BVJL93 / BVTL5
8月2日(水)発売 『SPACY』(1977年作品) BVJL94 / BVTL6
8月2日(水)発売 『CIRCUS TOWN』(1976年作品) BVJL95 / BVTL7
9月6日(水)発売 『IT’S A POPPIN’ TIME』(1978年作品) BVJL96〜97(2枚組)/ BVTL8
9月6日(水)発売 『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』(1982年作品) BVJL98 / BVTL9
*品番は アナログ盤/カセットテープ

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山下達郎レコード

完全生産限定盤/180g重量盤レコード/カセットテープ TOWER RECORD

目次

山下達郎入門🎸

プロフィール

1953年〈昭和28年〉2月4日東京都豊島区池袋生まれ。(2023年1月現在69歳)
日本のシンガーソングライター、ミュージシャン。
日本における旧来の愛称はヤマタツ、外国語のクレジットではTatsuroをTatsuもしくはTatsと綴ることがある。

血液型はB型。
妻は同じくシンガーソングライターの竹内まりやさん。

年歴

’72年、アマチュアバンドの友人と、自主制作アルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を制作。

’73年、『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』がきっかけで知り合った仲間(大貫妙子ら)とシュガー・ベイブ結成。同時期にこのアルバムを聴いた大瀧詠一と知り合い、はっぴいえんどの解散ライブで、大瀧のバック・コーラスをつとめる。

’75年4月、大瀧詠一のナイアガラ・レーベルから、アルバム『ソングス』、シングル「ダウンタウン」でデビュー。

’76年4月、シュガー・ベイブ解散。大瀧詠一・伊藤銀次との共同参加アルバム『ナイアガラ・トライアングル』(4月)を経て、同年10月、アルバム『サーカス・タウン』でソロ・デビュー。ソロ・シンガーとしてのスタートを切る。

’77年5月、セカンド・アルバム『スペイシー』発表。
’78年5月、ライブ・アルバム『イッツ・ア・ポッピン・タイム』発表。12月サード・アルバム『ゴー・アヘッド!』発表。

’79年春、アルバム『ゴー・アヘッド!』中の一曲「ボンバー」が、関西のディスコ・シーンを中心にヒット。同年10月、4枚目のオリジナル・アルバム『ムーングロウ』はロング・セラーとなり、この年のレコード大賞ベスト・アルバム賞を受賞。

’80年5月、シングル「ライド・オン・タイム」がベスト・テン・ヒットとなり、10月にはアルバム『ライド・オン・タイム』もチャートNo.1を獲得する。 また、この年、一人ア・カペラ・アルバム『オン・ザ・ストリート・コーナー』発表。一人多重録音のア・カペラ(楽器を伴わない無伴奏コーラス)による、ドゥー・ワップ(1950~60年代のロックンロール・ストリート・コーラス・ミュージック)という、世界的にもきわめてユニークな作品。これ以降「山下達郎の一人ア・カペラ」はその認知度と評価を増していく。

’82年1月、6枚目のオリジナル・アルバム『フォー・ユー』発売。No.1ヒットとなり、年間アルバムチャート2位。評価を確立。6年在籍していたRVCレコードから、自ら設立したムーン・レコードに移籍。
4月には竹内まりやと結婚。以後まりやの作品の編曲・プロデュースも全面的に手がけていく。

’83年6月、ムーン・レコード移籍第一弾アルバム『メロディーズ』発表。このアルバムに収録されていた「クリスマス・イブ」が後に大ヒットソングとなるが、この時点ではまだ誰も予想していなかった。

’84年6月、アルバム『ビッグ・ウェイヴ』発表。同名映画のサントラであるこの作品は、一人多重録音によるビーチ・ボーイズのカヴァーを含む全曲英語の異色アルバムながら、大きな評価を得る。
4月には竹内まりやのムーン移籍第一弾アルバム『ヴァラエティ』がチャートNo.1。

’86年4月、アルバム『ポケット・ミュージック』発表。この時代はアナログからデジタルへと、音楽環境の激変に苦しんだ時代だったが、そのことが作品に緊張感を与える結果ともなった。
また、この年は、一人ア・カペラ・アルバム第二弾『オン・ザ・ストリート・コーナー 2』も発表している。

’88年4月のシングル「ゲット・バック・イン・ラブ」のヒットを受け、10月、アルバム『僕の中の少年』発表。この年から始まったJR東海のクリスマス・キャンペーンに「クリスマス・イブ」が使われ、大ブレイクとなる。

’89年11月、ライブ・アルバム『ジョイ』発表。80年代のツアーの記録を集大成した熱血ライブ。
前年に引き続き「クリスマス・イブ」が大ヒット。ついに発売から6年以上たってシングル・チャートNo.1を獲得し、スタンダード化する。

’91年6月、アルバム『アルチザン』発表。レコード大賞ベスト・アルバム賞(2度目)を受賞。

’93年11月、クリスマス・アルバム『シーズンズ・グリーティングス』発表。フル・オーケストラと一人ア・カペラという二面構成の、いかにも山下達郎ならではの企画。

’94年4月、シュガー・ベイブ『ソングス』がオリジナル・マスターでCD化。なんとチャート3位に。CD化にともない、シュガー・ベイブ時代の作品のみで構成されたライブ「山下達郎 SINGS SUGAR BABE」を行う。

’95年11月、ムーン・レーベル移籍後の初ベスト『トレジャーズ』発売。ミリオン・セラー。

’98年8月、久々のオリジナル・アルバム『コージー』発表。ミリオン・セラー。6年ぶりの全国ツアー。

’99年11月、もはやライフワークとなった一人ア・カペラのアルバム第三弾『オン・ザ・ストリート・コーナー 3』発表。

’02年2月、RCA/AIRレーベル時代のカタログ7枚を念願のリマスター再発。これにともないRCA/AIR当時の作品だけで構成されたライブ・ツアー「PERFORMANCE 2002 RCA/AIR YEARS SPECIAL」を敢行。またこの年10月、未発表音源やシングル・オンリーの音源をまとめたアルバム『レアリティーズ』を発表。

’05年9月、7年ぶりのフル・オリジナル・アルバム『ソノリテ』発表。 ’08年12月、長らく中断していたコンサート・ツアーを6年ぶりに再開。以降毎年コンスタントに続行中。

’11年8月10日、6年ぶりのフル・オリジナル・アルバム『レイ・オブ・ホープ』発表。

’12年9月26日、37年間の全活動を俯瞰した3枚組ベスト・アルバム『OPUS ALL TIME BEST 1975-2012』発表。

’22年6月22日、11年ぶりのオリジナル・アルバム『ソフトリー』発表。
CDだけでは無くアナログレコード2枚組180g重量盤・カセットテープもリリースされています。

人物、音楽性等

ビーチ・ボーイズ🇺🇸マニアとまで言われる程ビーチボーイズに詳しく、山下達郎が影響を受けたのは、多くがブライアン・ウィルソンとビーチ・ボーイズのようなアメリカン・ポップス・ロックのミュージシャンからであった。
自分のアルバムにもビーチ・ボーイズのカバー楽曲があります。

また、日本におけるドゥーワップの熱心なファンの一人であり、知識も豊富である。自分自身のヴォーカルを多重録音する「1人ア・カペラ」という手法を用いることでも知られています。

彼は他にソフト・ロック、ブルーアイド・ソウル、コーラス・グループ、スウィート・ソウルなどのファンでもある。ジェームス・ブラウンやガレージ・ロックも好むなど、音楽の趣味は幅広いく、萩原健太さんとならび、日本におけるビーチ・ボーイズ・ファンの代表格。

音楽作りに対する拘りと独自の制作姿勢から「音の職人」とも称されています。

レコーディングではボーカル・バックコーラスのほか、編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで1人で手掛けている。全ての演奏を1人で行っている楽曲もある。

特にギターのリズムカッティングを得意としている。アコースティック感の強い作風を持ち味とするが、最新技術を活用する方針のため、アナログからデジタルまでカバーする幅広いノウハウを持っています。

大貫妙子さんらと共にシュガー・ベイブを結成し、アルバム『SONGS』(1975年)でデビュー。

プロデュースを手掛けた大瀧詠一さんのナイアガラ・レーベルでは、日本コロムビア時代の作品に、コーラスやストリングス・アレンジで参加。

特に大瀧さんのソロ・アルバム『NIAGARA MOON』(1975年)や『NIAGARA CALENDAR』(1977年)に深く関わっています。

1975年頃から、自身の作品制作の傍ら、他のシンガー、ミュージシャンへ楽曲提供を開始。
小杉理宇造さん(元ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長)を通じてジャニーズ事務所との繋がりもあり、近藤真彦さんの「ハイティーン・ブギ」(1982年)、KinKi Kidsのデビュー・シングル「硝子の少年」(1997年)や「ジェットコースター・ロマンス」(1998年)などのヒット曲を出しているほか、ジャニーズ所属タレント出演作品の主題歌も多く手がけています。

「硝子の少年」は2022年kink Kidsデビュー25周年とタツローさん作曲という事も合間って、昨年メディアで話題になった楽曲です。

大瀧詠一さん同様、レコード・CDコレクター、オーディオマニアであり、特にロック・R&B・ポップスについて造詣が深く、アナログ盤はオリジナルを中心に収集しており、所蔵総数は6万枚を超える。

海外では作品リリースを行っていなかったが、2010年代のヴェイパーウェイヴのブームで作品が発掘され広まった。
山下達郎さんがバックトラックを作成した竹内まりやさん作の「プラスティック・ラブ」は、非公式動画ながら海外のリスナーを中心にYouTubeで合計1億回以上再生されています。

こだわり

「テレビやDVD・ブルーレイソフトなどの顔出し出演はしない」
「日本武道館などのような大規模なアリーナ級の会場でのコンサートはしない」
「著書を書かない」
の3つのこだわりをもっている。

顔で売るよりもあくまでも歌を聴衆に聞いてもらうこと、ステージ上で聴衆のすべてに高いクオリティーで音楽を届けることを最優先として考えており、コンサートホール以外の大規模な体育館やアリーナクラスのものではそれが難しいとしてアリーナクラスの会場での開催は基本的に行わないようにしています。

その中でも中野サンプラザ大ホール(収容人員2222人)は、「一番後ろの聴衆にも、演奏者がきちんと聞こえる」として、長年にわたり公演に使用し続けているという。

ただし妻である竹内まりやのコンサートツアーについては日本武道館や大阪城ホールなどアリーナクラスでのライブを行なっている他、2010年以降は「ライジング・サン・ロックフェスティバル」や「氣志團万博」などの野外フェスへの出演も増えてきています。

またミュージシャンとしてのポリシーを大切にしたいという理由でソロ活動以降はテレビ出演も原則として顔を出してのリアルインタビューには応えないことにしている。(シュガー・ベイブ時代には若干テレビ出演していた)

だが例外として声のみの出演やインタビュー風景の静止画の放映は認めており、NHK『SONGS』や、フジテレビ系『めざましテレビ』、日本テレビ系『ZIP!』、日本映画専門チャンネル『日曜邦画劇場』、テレビ朝日系『関ジャム 完全燃SHOW』などに出演歴がある。

『第73回NHK紅白歌合戦』ではKinKi Kidsのステージにサプライズでメッセージ音声を贈り、音声のみで紅白歌合戦に初出演を果たした。

自身の著書(自叙伝、エッセーなど)も一切執筆していない。
ただし、『ON THE STREET CORNER』以降、自身のアルバムや、ビーチ・ボーイズなど自身と関わりの深いアルバムや、タツローさんが社外取締役を務めるワーナーミュージックジャパン発行の一連の「ワーナーナゲッツシリーズ(ポップロックナゲッツ、ガールズポップナゲッツ、ドゥーアップナゲッツなど)」では、それらについての作品の解説・ライナーノーツを手掛けている。

他に、雑誌『レコード・コレクターズ』の「私の収穫」にもコレクターの一人として登場しています。

OTHER

「クリスマス・イブ」が37年連続オリコンTOP100入り! 山下達郎の「クリスマス・イブ(30th Anniversary Edition)」が、週間売上0.3万枚でオリコン2023年度の第1週目となる12月20日発表の最新〈オリコン週間シングルランキング〉17位にランクイン!

これにより、1987年度から続く〈週間シングルTOP100入り連続年数〉の記録が “37年連続” に更新されました。 1983年6月発売のアルバム『MELODIES』からシングルカットされた「クリスマス・イブ」は、この年の12月の初ランクイン以降、1987年度に再びランクインしてから36年間、〈オリコン週間シングルランキングTOP100〉へのランクインを継続していました。

山下達郎詳細(wikiペディア)

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山下達郎入門Pt.1🎸シュガー・ベイブ時代(S48/1973年 – S51/1976年)

1972年発売の自主制作盤「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」の制作メンバーにより、1973年に結成されたインディーズ・バンド。
当時はまだ珍しかった、メジャー7thや分数コードなどのコード・プログレッションを多用するほか、コーラス・ワークに重点を置いた音作りで、他のバンドと比較して音の響きの美しさで群を抜いていた。

しかし、当時の音楽はムード歌謡やグループサウンズが全盛期の時代であり、シュガーベイブの音楽性がそれらと著しくかけ離れていたため、セールス的には大きく低迷し、アンダーグラウンドな存在に留まっていた。

同じようなスタイルのバンドが他にいなかったため、的外れな評論やいわれなき中傷も数多く受けていた。
バンドの構造的宿命から1976年に解散したが、メンバーの山下達郎や大貫妙子らのその後の活動によって、シュガー・ベイブはシティ・ポップの先駆けとなり、1990年代以降のJ-POPの前史としても認知されるに至った。

活動当時は極めてマイナーなバンドであったが、現在では日本の音楽史上非常に重要なバンドとして認識されています。

メンバー
第1期:1973年4月 – 1975年4月
山下達郎(やました たつろう) – ヴォーカル、ギター、キーボード、コーラス
大貫妙子(おおぬき たえこ) – ヴォーカル、キーボード、コーラス
村松邦男(むらまつ くにお) – ヴォーカル、ギター、コーラス
鰐川己久男(わにかわ きくお) – ベース、コーラス
野口明彦(のぐち あきひこ) – ドラムス

第2期:1975年4月 – 1975年6月
山下達郎 – ヴォーカル、ギター、キーボード、コーラス
大貫妙子 – ヴォーカル、キーボード、コーラス 村松邦男 – ヴォーカル、ギター、コーラス
伊藤銀次(いとう ぎんじ) – ギター
寺尾次郎(てらお じろう) – ベース、コーラス
上原裕(うえはら ゆたか) – ドラムス

第3期:1975年6月 – 1976年4月
山下達郎 – ヴォーカル、ギター、キーボード、コーラス
大貫妙子 – ヴォーカル、キーボード、コーラス
村松邦男 – ヴォーカル、ギター、コーラス
寺尾次郎 – ベース、コーラス 上原裕 – ドラムス

シュガー・ベイブ詳細(wikiペディア)

 SONGS(S50/1975年)

アナログ盤は現在プレミアム価格になっておりオークションでは、帯付きでコンディションの良い物だと2万円越えで取引されている超レアな人気盤です。

アルバム詳細(wikiペディア)

Down Town(S50/1975)

1975年4月25日リリース、作詞:伊藤銀次 / 作曲 :山下達郎

Epo – Down Town(S55/1980)

1981年5月16日から放送開始のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』のテーマソングとしてEPOさんの「DOWN TOWN」を使いたいと依頼され、同番組のエンディングテーマとして採用されることとなった。

実際に番組で使用されたのは放送2回目以降。
続いてEPOさんの楽曲「土曜の夜はパラダイス」も同番組のエンディングテーマとして使用された。

『オレたちひょうきん族』は人気お笑い番組となり、それにより楽曲とEPOさんの知名度も急上昇しました。
その縁から、同番組でビートたけしさんが演じた「タケちゃんマン」コーナーのテーマ曲「THE TAKECHANマン(タケちゃんマンの歌)」の作曲も担当(佐藤エポ子名義、作詞:大岩賞介)。

番組のアイキャッチも手掛けた。
また同じフジテレビのお笑い番組『THE MANZAI』でも『ひょうきん族』のスタッフによりEPOさんの楽曲が採用されています。

アーティスト詳細(wikiペディア)

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Juice=Juice – DOWN TOWN(Promotion Edit)(R3/2021)

アーティスト詳細(wikiペディア)

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Juice=Juice DOWN TOWN

山下達郎入門Pt.1🎸ソロ活動(S51/1976年~S57/1982年)

CIRCUS TOWN(S51/1976年)

1976年12月25日に発売された、初のソロ・スタジオ・アルバム。
アルバム詳細(wikiペディア)

WINDY LADY

1stシングル、作詞・作曲:山下達郎
1stシングルですが正規盤リリースは無く、プロモ7inch盤のみの存在。

1998年(H10)にレゲエシンガーのムーミンさんがカバーしヒットしています。

SPACY(S52/1977年)

1977年6月25日に発売された、2作目のスタジオ・アルバム。
アルバム詳細(wikiペディア)

LOVE SPACE

作詞:吉田美奈子/作曲&プロデュース:山下達郎

It’s A Pippin’ Time(S53/1978年)

1978年5月25日に発売。
1978年3月8日と9日に、六本木のライヴ・ハウス「ピット・イン」で行われたライヴの模様を収録した、2枚組ライヴ・アルバム。
アルバム詳細(wikiペディア)

GO AHEAD!(S53/1978年)

1978年12月20日に発売された、3作目のスタジオ・アルバム。
アルバム詳細(wikiペディア)

LET’S DANCE BABY

作詞:吉岡治 ⁄ 作曲・編曲:山下達郎

BOMBER

作詞:吉田美奈子 ⁄ 作曲・編曲:山下達郎

タツローさんはリリース当時アイズレー・ブラザーズ🇺🇸のフリークで、ああいうハード・ファンクをやってみようと思って『ボンバー』を作り、大阪のディスコで大ヒット。

アメリカン・ポップスの男が一転して、16ビートの実践者になってしまい、本人にとってはこの曲で踊れるということが不思議でならなかった様です。

シングルの発売前、試験的にAB面を逆にしたプロモ盤を大阪のディスコを中心に配布したところ評判となり、大阪では「BOMBER」のタイトルで臨時のジャケットが作られて販売された。

MOONGLOW(S54/1979年)

1979年10月21日に発売された4作目のスタジオ・アルバム。
収録曲の「RAINY WALK (レイニー・ウォーク)」は 元々はタツローさんがプロデュースを手掛けたアン・ルイスさんのアルバム用にレコーディングされたが収録されなく、曲が気に入っていたので原盤権を買い取って本作に収録した。

その為、当時のアン・ルイスさんのレコーディング・メンバーだった高橋幸宏さん・細野晴臣さん・松原正樹さん・佐藤博さんによって演奏されています。
アルバム詳細(wikiペディア)

永遠のFULL MOON

1979年10月21日に発売された5thのシングル、作詞:吉田美奈子/作編曲:山下達郎

RIDE ON TIME(S55/1980年)

1980年9月19日に発売された、5作目のスタジオ・アルバム。
アルバム詳細(wikiペディア)

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